【哀悼】16年連れ添った愛犬が亡くなりました【ペットロス】

先日、実家で飼っていた犬が亡くなりました。
16歳になるミニチュアダックスフンドでした。

私が小学生の時から一緒にいた親友です。
辛い気持ちと愛犬への感謝の気持ちを忘れないために書き留めたいと思います。

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出会い

近所で生まれた子犬を引き取ったのが出会いです。

6匹くらいいた中で、一番おとなしそうな子を選びました。
ご多分に漏れず、すぐ暴れん坊になるのですが。

私は、動物好きですが犬の世話をする自信がなく、「飼うのはいいけど世話しねーぞ!」とか言っていました。
父も、頑張って建てた一軒家を汚されることを気にして乗り気じゃありませんでした。

すぐに、みんなメロメロになりましたけどね笑

愛犬との思い出

旅行にも一緒に行きました。

当時やってた「ポチたま」というTV番組で特集された宿(ベートーベンというバーニーズマウンテンドッグがいたお宿です。わかる人いるかなぁ)にいったり。箱根に行ったり。

普段からよく一緒に寝たのですが、彼はわたしの脇の下に潜り込んで頭を乗せて寝ることが好きでした。
彼女かっ!って感じで、いつも寄り添って寝ていました。

寝付けない夜も、彼を抱いて寝るとすぐ眠ることが出来ました。
私の受験や就職活動など、辛い時に支えてくれました。

私の人格形成にとても大きく影響した存在です。

後輩犬を彼が4歳の時にペットショップで購入しました。
初めは後輩犬が近づくたびに唸り、逃げていました。
最終的にはむしろ後輩犬のほうがうざったそうなそぶりを見せるほどに仲良しになりました。

ヘルニア発症

ダックスは、その体系からヘルニアになりやすいです。

彼は2度ヘルニアを患いました。
2回目のヘルニアの後から、後ろの右足をひきずるようになってしまいました。

それでも、元気に走っていました。
ヘルニアについてはこちらの記事にまとめています。

このころから、散歩の時はバギーを利用するようになりました。
彼は、バギーから顔を出して目を細め、気持ちよさそうにしていました。

唾液腺嚢腫

彼が13歳くらいの時から、のどの下が膨れてきました。

病院で検査すると、唾液腺が漏れて皮膚の下に溜まっているとのことでした。
「ガマ腫」とも呼ばれているらしいです。

すでに老犬であった彼に負担をかけたくなかったので手術はしませんでした。
正直、そこからさらに何年も生きると思っていませんでした・・・。

病院で溜まった唾液を注射器で取り除いてもらっていたのですが、1週間もすると元通りに。
いつも重そうにぶらぶらさせて、可哀そうでした。

彼が唾液腺から解放されたのは、死の間際体の水分が少なくなってからでした。

近づく死の影

彼の体が衰え、足元がふらつき満足に動けなくなるころ、私は結婚し実家を出ました。
妻には「彼にもしものことがあったら飛んでいく」と常々言っていました。

いっぱい世話になったんだから、看取りたいと強く思っていました。

痴呆

亡くなる1年前くらいから、痴呆が進み妙な行動をすることが多くなりました。

壁を向いてフリーズしたり、狭いところに入り込んでフリーズしたり。

飼い主を認識できず、家族に噛みつくこともありました。

歩行が困難に

ヘルニアの後遺症から、特に足腰の弱り方が著しく、歩行すら困難になってしまいました。
座布団すら超えられず、困っている姿を見ました。

それでも、じいちゃんになった彼は頑張って歩いていました。

よたよたと、ゆっくりと。のどをぶらぶらさせながら、頑張っていました。

毛が抜けた

ふさふさもふもふだった胸の毛はなくなり、唾液腺の影響で首の後ろの皮膚が引っ張られ、地肌が見えていました。

稲穂のようだった尻尾はまるでネズミの尻尾のように。

私が実家に帰ると、よたよた歩いて、毛のない尻尾をぴちぴちと振って喜んでくれました。
私は、老いていく彼を見て悲しい気持ちになりました。同時に、最後まで全力で愛そう、とも思いました。
実家を出てしまっていたので、会えるのはたまにになってしまっていましたが。

視力、聴力の低下

特に、聴力の低下の進行が早かったです。

元気なころは、玄関を開けるとすっ飛んで迎えに来てくれていました。

足が悪くなってからもよたよたと迎えに来てくれました。

しかし、ある時から来なくなりました。聞こえないから気付かないんですね。

リビングにいる彼を撫でて「帰ったよ」と言うと、やっと気づいてしっぽをぴちぴち振って喜んでくれました。

そして天国へ

4月21日

その日は、私の両親が新潟へ遊びに来ていました。

実家では、妹がお留守番。
この日の21時ごろ、妹から家族LINEに連絡が。
「バタン、と音がして見たら彼が動けなくなっている」

慌てて私と両親は車で東京へ帰りました。
私も行くよう勧めてくれた妻には感謝です。

4月22日

午前2時頃実家に着き、心配ながらも就寝。
朝イチで動物病院へ行き、入院が決定しました。

4月25日

回復の見込みがないため退院。

私の両親は、介護生活を覚悟していたようです。
相変わらず寝たきりで、排泄の補助をすることもありました。

5月3日

GWで私が帰省。

彼は寝たきりで、スポイトでミルクを与えられなんとか生きている状態でした。
寝たまま排泄をするので、座布団にトイレシートを敷き、そのうえで横たわっていました。

数日間だけですが、ミルクをあげたり寝る向きを変えてあげたり(床ずれ防止)して、少しでも彼に恩返しをできるようお世話をしました。

5月7日

前日の夜から、痙攣が始まりました。
彼は腎臓が悪かったのですが、痙攣は腎不全の末期症状です。

数時間で死に至る可能性もあるということです。
たまに目が虚ろになり、「死んじゃった!?あっ、まだ息してる・・・」という状態になりました。

8:10

私が「ありがとね」と声をかけながら撫でたら急に鳴きました。
彼の声を聞いたのは久しぶりでした。
そして、ぴちぴち尻尾を振ってくれました。
ここ数日ではなかったことだったので、もしかしたら復活するか!?と期待を抱きました。

8:45

しかし、父が出勤した15分後に静かに息を引き取りました。

まだ0歳の私の子と甥っ子は何もわからずいつも通りわめいていました。
賑やかに、家族に見守られながら彼は亡くなりました。

もう抱いても何も反応はありません。ぐったりとうなだれるだけです。
目がわずかに開いたままだったので閉じてあげました。

だんだん冷たくなる彼の体。
口を触るとすでにひんやりして、唇は白っぽくなっていました。

ああ、死んでしまったんだなぁ。
覚悟はしていましたが、なんとも言えず悲しいものです。

ずっと、支えてくれた恩犬が空っぽになってしまいました。

色々と障害を抱えながらよく頑張ったね、今まで本当にありがとう。一番の親友は君だったよ。
そう思って送りました。

私は9時ごろに出発する予定でした。

まるでわかっていたかのように、ぎりぎりまで一緒に居させてくれて、看取らせてもらえました。
・・・父はタイミング悪くて不憫でしたけど。

5月8日

私は新潟に帰っていましたが、火葬してもらいました。
私は実感がありませんが、実家はとてもさみしくなっているでしょう。

彼が亡くなってから

実家には、彼のお骨と写真が目立つところに置いてあります。
彼がよくいた部屋の隅にはまだブランケットが敷いてあります。

後輩犬は、急に落ち着いてしまいました。

彼は、家族の一員であり、彼がいなくなったことで生まれた違和感は大きなものでした。

最後に

あなたも、飼っているペットが亡くなったら当然悲しむでしょう。

しかし、大体の動物は人間より寿命が短いです。
いずれ別れの時は来ます。

その時に、自信をもって「あの子は幸せだった」と言えるようにしたいですね。
彼は、幸せだったと思います。
家族全員、彼を愛していました。

今は、我が家にはわたがいます。
何歳まで生きてくれるかわかりませんが、私が見送る立場になるでしょう。
その時に後悔しないよう、わたのこともしっかり愛したいと思います。大好きだわた!

わたと、飼い主実家のおじいちゃんダックス(16歳)! #犬#保護犬#雑種犬 #dog#ダックス

<参考>
犬の十戒

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