「若者は出世したがらない」は本当か?【書き散らし】

こんにちは、わたぱぱです。今回はあまりやらない、自分の考えを書き散らすことに試みる。テーマは少し前にTwitterで話題になっていた「若者が出世したがらない」について。

要約すると、「出世」のあり方が変わってきていることもそれに影響しているんじゃなかろうか、と。

なお、この記事は一切データの裏付けのない、私の個人的な思い付きでありただの感想なので、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

スポンサーリンク

昭和と現代では「出世」の意味が違う説

昭和の出世=会社で偉くなる

私は「出世」と聞くと、所属する組織(多くは企業)で役職を上にあげていくことを想像する。役職ナシから課長、部長、役員、、、のような島耕作的な「出世」である。これはここでは昭和の出世とした。

現代の出世=世の中に対して影響力を持つ

では現代の出世とは。出世=世に出る。つまり昭和の出世に加えて、もっと広い意味で有名になったり、世に対して影響力を持ったりすることも、出世と言えるんじゃないかと思う次第である。

さっき犬の散歩してて思いついたんだけど。

最近の若者は上昇志向に欠ける・・・は真実か

若者が出世をしたがらない理由は「上昇志向がなく、だらしないから」とオッサンは言う。若者は「(昭和の)出世をしても給与は上がらず、責任や労働時間ばかり増える」と主張する。

若者の主張は、まあ事実であろう。出世しても、上がる給与は雀の涙にとどまるケースは多い。しっかり昇給する会社の若手なら、上のポジションに行きたいんじゃないかしら?

一方でオッサンの主張は、事実である部分もあるが、そうでない部分もあると思う。

「転職や独立をしても役に立つスキルや経験を手に入れたいか?」と聞いたら、YESと答える若者の割合は、たぶん昭和より今のほうが多いんじゃないだろうか。

また、SNSでフォロワーを増やしたり、YouTuberとして活躍するなど、個人としての影響力を持ちたいと考える若者も多いんじゃないかしら。

これって上昇志向自体はあるよね。

若者が上昇志向を失っているわけでなくて、それを実現する方法が変わっているだけ。若者にとって「昭和の出世」はハリボテのように見えるんじゃないだろうか。

私はアラサーの転職経験が複数ある会社員である。個人的には社内の役職にこだわりはない。

しかし、マネジメント経験というのは30歳以上だったり、管理職のポジションでの採用だと重要になってくるので、そういった経験、スキルは欲しいなあ、と思う次第である。

時代は30年前とは大きく変わっている。

SNSなどがなく、個人が影響力を持つ手段が少なかった。

転職が今ほど一般的でないため社内の権力の価値が大きく維持しやすかった。

体育会的考え方が一般的なので役職が上がると影響力を持つことが同義に近かった。

昭和に会社で偉くなることを目指すことが当たり前だった理由はこんな感じだろうか?

とはいえ、やっぱり出世を目指す若者は減っているかもしれない

「ミニマリスト」という言葉を耳にするようになって久しい。「年収200万円FIRE」のような考え方も以前よりは一般的になっていると思う。

これらは、世に影響力を持つ(=現代の出世)すら否定する価値観だと私は考える。

「人にどう思われるか」よりも自分にとっての幸福を追求した結果であり、個人的には大いに共感する。私も可能なら、田舎で犬と一緒に野菜作りを楽しみながら生きたい。

たぶん、こういったしょぼく生きていく価値観は、昭和よりも現代のほうが市民権を得ているものと思う。

会社で偉くなることを拒否する若者が増えた理由

ということで、会社で偉くなりたい若者が増えた理由について2つ考えた。

①上昇志向の実現方法が多様化した

②上昇志向がない人が増えた

私が言いたかったのは、「若者が出世を好まないのは上昇志向がない」からだけではなく、若者の上昇志向を受け止める存在として企業が魅力を失っているんじゃないかということである。なんでもかんでも「最近の若者は」で終わらせてんじゃないよ。

昭和は出世そのものが目的たり得たけど、現代では(会社で偉くなる)出世は欲しいスキル・経験を手に入れるための手段に過ぎないんだと思う。企業は、そこを訴求しつつ若手を起用したらいいんじゃないかしら。

以上、犬の散歩してて思いついた持論を書き綴ってみた。

乱文失礼しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました